部屋象の記憶

忘れたくねえよ

デザインされたギャンブル依存症 感想

「デザインされたギャンブル依存症」という本を読んでいた。ギャンブラーを取り込むギャンブルマシーンやカジノの仕組みについて書かれた本だが、私は自分とビデオゲームの向き合い方について考えていた。

 

 

この本によると、ギャンブラーは二種類いるらしい。

一つは、ジャックポット=勝ちを求めるタイプのプレイヤー。これは、まあ、ギャンブラーってそういう人なんだろうと思っていた。

もう一つは、勝ちにこだわらない逃避型のギャンブラー。こちらが問題。大当たりが出るかどうかはどうでもよく、座席に座っている時間を稼ぐために小さく勝つプレイヤー。プレイし続けることで、マシンが自分を現実から切り離された<ゾーン>、主観が一時停止して感情が落ち着く状態に連れて行ってくれることを期待している。大当たりして勝負に勝つことが目的ではないので、大負けしない、小さく勝てるゲームを好む。プレイを中断すると<ゾーン>から抜けてしまうため、好まない。

 

私は後者のプレイヤーなんだよな明らかに。

私は、ギャンブルはやらない。でもゲームが好きだ。

ゲームは好きだけど、勝ち負けがはっきり決する、相手プレイヤーのいる、対戦型のゲームなどは好まない(よく考えれば、対戦ごとにプレイ感が切断されるのもあまり好きではないかもしれない)。よくやるゲームは、シングルプレイのストーリーに集中できるようなものか、シュミレーターやパズルなど作業チックな側面の強いゲームだ。

ゲームで「勝つ」ために時間を費やすことは少ない。のんべんだらりとプレイし続けることのほうが重要だ。集中してプレイしていられる時間に価値がある。

<ゾーン>の存在は強く感じる。ゲームに集中し、視界が狭まり、感情がフラットな空間が現れる。その状態に持っていく催眠力が強いゲームを好んでいる。

ゲームをプレイすることに、現実逃避の側面は、とても強い。しんどいときによくゲームで逃避している。それ以外の面でもゲームが好きではあるが、でもそういった側面を否定はできない。特に、社会的交流からの隔絶を強く望む。プレイヤー同士の交流を伴うようなゲームは、たとえそれが褒め言葉など肯定的な内容であっても、望まない。話しかける/話しかけられる必要はなく、ただボタンを押すだけで完結する、そういう関係を望んでいる。

今まで自分は、たとえぬるくともゲーマーだと思っていた。しかし、ひょっとして自分はゲーム依存症に近いのではないか?

ゲーム依存症という言葉を聞いたことはあった。しかし、ガチ勢や廃人ほど時間も費やしていない自分は、ヌルゲーマーの自分には、関係ないと思っていたが、しかし、上記の自分の行動様式は、この本に出てくるギャンブル依存症の人のそれに極めて近いのではないか?なんだか自分に自信が持てなくなってきたお話。